(S&T誌#107)Warsaw Rising
Revolt of the Polish Underground.
(S&T誌107号)ワルシャワ蜂起1944
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↑「明日どこかの交差点で、轢き逃げされちゃうかも」な図。
第3ターンのドイツ軍戦闘フェイズの一場面。
遅蒔きながら装甲列車の怖さを思い知らされたポーランド国内軍だったが、鉄道遮断ぐらい非武装新兵のZOCで間に合うだろうと、安易に進出させたら、建物ヘクスといえども鉄道線路上だったので、装甲列車に突撃戦闘を挑まれて、無為に自動的除去されるの図(しかも新兵除去によって1点献上)。
国内軍を担当するなら、これぐらいポカミスが多い方がリアルで良いとは思うが、一応今後の戦訓として恥を晒しておく。
▼第3ターン(44年8月16~23日)終了時の盤面全景。全般的に見ても。ポーランド軍の分散ぶりが酷い。ただでさえ少ないユニットを分散させている上に、一見弱そうだが、主要建物に籠もるドイツ軍を攻撃して、撃退され続けるという拙い戦い振り。特に、絶滅されたゲットー中心部に位置するパヴィアック刑務所を、毎回攻撃しては撃退されるという無意味さは批判されていい。
シュターヘル将軍司令部の除去が困難と見るや、またしても易きに流れて、すぐに包囲殲滅できそうに思えた警察分署を攻撃したブル・コモロウスキ将軍麾下の主力部隊だったが、映画「要塞警察」を彷彿とさせる粘りによって足止めされる。
また、浄水場の死守部隊も火災が発生するほどの大戦力で包囲攻撃されて壊滅...(結局浄水場の占拠でポーランド側4点獲得に対し、死守部隊殲滅で10点余りドイツ軍に献上したワケで、全く割に合わなかった)。
こんな「死の舞踏」的なゲーム展開を求めてのルール改訂プレイだったとは言え、もっと巧く戦えたはずなのは明白で、今回の戦訓を採り入れた再戦を強く望みたい。
何の気なしにヴィッスラ河東岸に配置して、遊兵と化していた共産系のポーランド人民軍(AL)司令部に、今更ながら橋を渡らせて、奇襲突撃の可能性を活かそうとするポーランド軍。また、橋梁爆破の重要性に気がついて、泥縄で新兵配置する...
▼第4ターン(44年8月24~31日)進行中の盤面全景。定見無きポーランド軍、発電所以外では緩包囲されつつあるの図。
▼今回の対戦にあたって、N村さんが探索されたワルシャワ蜂起関係の翻訳資料
それぞれリンク先の「CiNii論文PDF」から論文がダウンロードできます。
渡辺克義訳「ワルシャワ蜂起と国内軍総司令部 : 蜂起最終決定の背景
:(2)(D)
国内軍総司令部参謀総長タデウシュ・ペウチンスキ中将との会談覚書」山口県立大学学術情報
渡辺克義訳「ワルシャワ蜂起と国内軍総司令部 : 蜂起最終決定の背景
:(3)(E)
国内軍総司令部作戦参謀ヤヌシュ・ボクシュチャニン大佐との会談覚書」山口県立大学学術情報
渡辺克義訳「
タデウシュ・ブル=コモロフスキ著『地下軍-ポーランド国内軍司令官回顧録』(第2部-1)」山口県立大学國際文化學部紀要
渡辺克義訳「
タデウシュ・ブル=コモロフスキ著『地下軍-ポーランド国内軍司令官回顧録』(第2部-2)」山口県立大学國際文化學部紀要
渡辺克義
「「嵐」作戦の政治的理念」山口県立大学國際文化學部紀要
「ワルシャワ蜂起と国内軍総司令部」の残りは、バルト=スカンディナヴィア研究会「北欧史研究」に、「地下軍-ポーランド国内軍司令官回顧録」の残りは、スラヴィアーナ編集委員会「Slavonic studies」に掲載されているようです。
ただし、それぞれオンライン公開版はありませんでした。残念。