テイク・エイム・デザイン最新作
『ラストバトル:伊江島1945』
Storm over 伊江島! そういうのもあるのか!! CMJ#121「バトルアックス作戦」のシリーズ2作目に当たるゲーム
●第二歩兵隊
・第一大隊(伊江島守備隊)
富山丸ボカ沈の穴埋めの為、急きょ44年8月に南九州四県の応召兵を動員して編成した大隊。
日中戦争で金鵄勲章を授けた大隊長井川少佐(39歳)は、鹿児島港を出港する前夜、宿舎であった県立第一中学の講堂に部下将兵を集めてその前に立ち、出発にあたっての訓示をした。
そこで、数日前に沖縄から疎開学童を乗せた対馬丸が敵潜に沈められ、数百人の子供が暗夜の海に沈んだ事を話した。
そして、大陸で受けた戦傷で足を引き摺りながら窓辺へ近づき、しばらく将兵たちと桜島を見つめた後、憤然とした口調でこう訓示を締めくくった。
「…この戦争、偉い人たちが言うように絶対不敗などということはないんだ。戦争はもう負けている。そういう戦争に我々は出かける。...しかし、我々は生きて還ろうじゃないか。...そして、あの桜島を、皆で一緒に見ようじゃないか。...きっと見ようじゃないか」。
かくして井川少佐を中心とする650人の第二歩兵隊第一大隊と第五十飛行場大隊、800人の防衛隊と島民3000人が一丸となって臨んだ4月16日からの伊江島防衛戦では、島唯一の防禦地形である城山(タッチュー)に築き上げた、文字通りの地下要塞に拠って、レイテのオルモック湾上陸でレイテ決戦を米軍の大勝利に導いた米77歩兵師団を相手として凄惨極まる6日間の死闘を繰り広げた。
そして米軍に死傷1120、戦闘車輌60輌撃破の損失を与えて、大隊長以下島民1500を含む4700人余は全滅した。
占領された伊江島飛行場は、5月10日から米戦闘機の一大根拠地として使用が開始され、17日には伊江島を飛び立ったP-47サンダーボルトの戦隊が、南九州の飛行場に米陸軍機として初めてロケット弾や機銃弾を浴びせかけた。