『ダンピール海峡の悲劇』キャンペーン...(GMT)Zero!/Corsairs&Hellcats C3I第16号掲載 Battle of the Bismarck Sea,1943

(GMT)Zero!/Corsairs & Hellcats
C3I Magazine 第16 号掲載
Battle of the Bismarck Sea,1943
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もりっちvs.idiotenによる『ダンピール海峡の悲劇』キャンペーン
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▼午後担当の帝國陸軍航空隊、隼とB-17相討ちにして堕とす
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二日目の朝、米第5航空軍の爆撃機群、押し寄せる...
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肝心の帝國海軍航空隊の撃墜王藤田は僚機に搭乗し、本領発揮するまもなく撃墜された...
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二日目午後の二次爆撃では船団直掩の隼が、エース搭乗のP-38双胴戦闘機に翻弄されて全機撃墜されるも、B-25を対空砲火と合わせて2機撃墜する奮戦
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 全4回の航空任務を完遂して八一船団の輸送船は全滅すれど駆逐艦の撃沈はなく、逆に米重爆1、中爆3の撃墜で、日本軍の勝利に終わった。
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▲泣けて泣けて仕方がない、良シナリオである...

Zero! and Corsairs&Hellcats-DiF Series Campaign
Battle of the Bismarck Sea
ダンピール海峡の悲劇

 第三次ソロモン海戦での敗北などにより日本軍はガダルカナルからの撤退を決め、1943 年2 月1 日から 7 日にかけて撤退した(ケ号作戦)。同時期、東部ニューギニアにおいても米豪軍は攻勢に出でおり、1 月2 日には東部のブナが玉砕した。このため日本軍は敵の次の攻撃目標と思われるラエ、サラモア地区に兵力増強の必要を生じ、危険を冒しても第五十一師団をラバウルからラエに輸送することになった。これが八十一号作戦である。
 増援部隊の内訳は第十八軍司令部、第五十一師団主力その他陸軍部隊約 6900 名,海軍陸戦隊補充兵力約 400 名,弾薬食料等約2500 トンであり、この輸送作戦の重要さを示すように海軍は8隻の輸送船団(徴用商船7隻、海軍運送艦1隻)を護衛するために8隻の駆逐艦(木村昌福少将)を出動させ,上空直掩に 30機の戦闘機が常時滞空するという厳重な防衛態勢をとっていた。
 輸送船団は8隻の駆逐艦に護衛されて、1943 年2 月28 日深夜ラバウルを出港した。
 一方、連合軍も日本軍がラエ地区の防御を固めると考え、これを阻止するため反跳爆撃という方法を考案した。これは低空で爆弾を投下して海面でジャンプさせ目標に命中させる方法で、水平爆撃に比べ命中率が格段に高い。連合軍は3 月5 日ごろに日本軍がラエに上陸すると判断、3 月1 には攻撃準備を完了した。
 日本軍の作戦では、3 月3 日にラエにつく予定であった。これこそマッカーサー以下、南太平洋に展開する連合軍将兵の誰もが、何週間も待ち望んでいたものだった。彼らにはわかっていた。もし日本軍が北部ニューギニアの重要拠点ラエおよびサラモアを維持するつもりならば、増援部隊を送る以外ないだろうことが。
 南西太平洋方面の連合軍航空部隊司令官ジョージ・C・ケニー中将は、日本軍の動きをはるか以前から察知しており、集められるかぎりの航空機を輸送船団攻撃という特別任務の為に集結させていた。
 B25爆撃機のパイロットはうそぶいた。「俺たちはクリスマスからずっと何もせず,輸送船団攻撃という、割のいい仕事だけを待っていたんだ」。

 3 月1 日、連合軍のB-24 爆撃機がビスマルク海で船団を発見、攻撃隊を送るが天候不良のため船団を発見できなかった。

 3 月2日、B-17 爆撃機10 機が船団を攻撃し、徴用船旭盛丸が沈没。駆逐艦雪風、朝雲が旭盛丸に乗っていた兵員を救助しラエへ向かった。午後には B-17 爆撃機 8 機による攻撃があり、運送艦野島が損傷した。雪風、朝雲は日没後ラエに到着し、兵員を揚陸後、船団護衛に戻った。

 3月3日朝、ジャングルの青い霧のなかを舞い上がって北へ進路をとった米豪軍機の翼のマークの上に陽光がきらめいた。ワウでは連合軍がジャングルのなかで日本軍と何週間も戦っていたが、米豪軍兵士たちは上空を爆撃編隊が次から次へと飛びさる
のを見て歓声を上げた。
 輸送船団はフィンシェハーフェン東方海域に達していた。快晴下、上空直衛の担当は午前が海軍、午後は陸軍となっていた。
 朝7:50、船団の南方に敵機の大群が現れた。まず B17 重爆 13機が中高度から水平爆撃を仕掛けてきた。3機のB-17 爆撃機が爆弾を投下すると、まず硝煙に包まれたのは「建武丸」だった。
 前部の船艙に命中し爆発によって火災が起こると速度が低下、船団から落後しやがて沈没した。
この時、船団上空には、零戦二五三空14 機、二〇四空 12 機の計26 機がおり、B17 を迎え撃った。更に8:05 には瑞鳳零戦隊 15 機が合流、8:10 には敵機も増えて船団上空の両軍機は70 機に達した。

 しかし B17 の上空には P38 等の護衛戦闘機が配されていた。
 零戦隊が中高度の B17と護衛戦闘機とに注意を奪われているう
ちに、ボーファイター13 機が超低空で船団を機銃掃射した。
マス
トの高さからの攻撃は、戦闘爆撃機ボーファイターが参加してこ
そ可能なものであった。これらは輸送船団に向かって急降下する
と、繰り返し機銃掃射を加えた。
ボーファイターは6丁の機関銃と
4門の機関砲を装備しており、集中豪雨のように降り注ぐ機関砲
弾および機銃弾で、甲板上の乗員は文字どおり薙ぎ倒された。
れにより日本軍は対空銃座に要員を配置させることができず、輸
送船上では陸兵や船員たちが折り重なって倒れた。
 続いて B-25
爆撃機 13 機が中高度で水平爆撃、続いて B-25 爆撃機 12機が
低空で反跳爆撃をおこなった。その後 A-20 攻撃機 12機、B-25
爆撃機6機がさらに反跳爆撃をおこなった。こうして攻撃は25分
間続けられた。
 この攻撃で輸送船 7 隻と駆逐艦 3 隻が被弾、建武丸、愛洋丸
および駆逐艦白雪が沈没。午後にはB-17 爆撃機16 機、A-20 攻
撃機 12 機、B-25 爆撃機 10 機、ブリストル・ボーファイター5 機、
P-38 戦闘機11 機が船団を攻撃、神愛丸、太明丸、帝洋丸、野島
および駆逐艦朝潮が被弾沈没した。
 被弾し航行不能となってい
た大井川丸、駆逐艦荒潮、時津風もその後の攻撃で撃沈された
(兵員約3000 名喪失)。こうして戦いは事実上の大殺戮で幕を閉
じた.3月4日の朝、ニューギニア北方海域には、艀や筏、救命
艇などに乗った日本兵が無数に漂っていた。米豪軍の航空部隊
は、漂流中の生存者を容赦なく機銃掃射した。
司令部のある将
軍は、数百人の日本兵が乗ったボートの群れを発見したという報
告と受けると一言こう言った。「ボーファイター1個編隊を送って、
もう少し殺せ」と。

 輸送作戦失敗の原因は、直掩の戦闘機隊が中高度に配置さ
れていたため、低空から進入する米豪軍機に対処できなかった
こと等が挙げられる。
この船団輸送の失敗により、その後のニュ
ーギニア方面の作戦は、衰亡の一途を辿ることになった。
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▲最後にASL勉強会組(DiF初プレイ)も参加してのチーム戦

ばしこさんの対戦後コメント:人生初のカードゲームに加えて頂いたもりっち様には感謝の言葉もありません。カードゲームは傍でみると怪しげな印象でしたが、実際やってみると運動エネルギーの概念も入っているシミュレーションなのだと実感できました。

by ysga-blog | 2017-05-18 12:06 | 【複葉機からジェット空戦ゲーム:総合】 | Comments(0)
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