(GMT)コーカサス・キャンペーン同時2卓並列プレイ 第2班その2

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 話題のシモニッチ最新作「コーカサス・キャンペーン」
ですが、訳出されたデザイナーズノートに以下の
一文があり、中堅の自動車化歩兵ユニットとして謎の
「フェルミ軍団」という物が増援登場します。
(上記写真で見るところの、3-4-6自動車化歩兵(兵科マークの中が
赤いエリート部隊)ユニット)

「Korps Felmyは軍団ではありませんでしたが、ペルシャまで突破
しロンメルと手を結ぶことを期待して編成された特殊ユニットの集
団です。アラブ人、カフカス人、パレスチナ・ドイツ人、フランス
外人部隊から構成されていました。これらは完全に機械化され、突
撃砲、ヴェルファー、88 ミリ砲の各中隊を含んでいました。ある文
献は、2,200 名の兵士とその他6,000 名と述べています。6,000 名
という数字には、おそらく多数のトルクメン人とカフカス人部隊が
加えられています。これらは、第1装甲軍の開いた側面を固めまし
た。
東方大隊は、様々な地域から志願したトルクメン人、アルメニア
人、北カフカス人から編成された多数の大隊をあらわします。特に、
第452、第781、第801、第802、第805、第808 の各大隊です。
ソヴィエト軍解放捕虜のベルクマン大隊と、ドイツ軍師団に非戦闘
員として従事していた数千人の北カフカス人もあらわします。」


 ベルクマン大隊というのは、1944夏のワルシャワ蜂起鎮圧にも
参加した(その筋では)比較的有名な義勇兵集団らしいのですが、
Korps Felmyについては思い当たる節が無く、先日の忘年会の
席上、独軍研究家の方に調査をお願いしたところでした。
 またお願いしてばかりではと、私もコーカサス戦に
ついて日本語文献で唯一詳しいと言える大日本絵画の
独ソ戦車戦シリーズ5「カフカスの防衛」をつらつら眺めていました
ところ、今まで読み過ごしていたらしく、随所にその情報を
発見しましたので、参考までにメモ書きしておきます。

p.6:1942年10月になると北カフカスにいわゆるF軍団が派遣された。これは司令官の
フェルミ将軍の名前の頭文字が付けられた部隊で、編制定数から言えば軽師団に相当し、
F戦車大隊と突撃砲中隊を各1個持っていた。

p.86~87:砂漠戦の特別訓練を受けたF特殊軍団を派遣した。F特殊軍団は第1装
甲軍のもとに10/15に到着し、~の線で防御に就いた。F特殊軍団のFとは、この部
隊を組織したフェルミ将軍の名前の頭文字に由来している。F特殊軍団は、熱帯や砂漠、
ステップ草原での行動を想定して、ギリシャ領内で編成された。その後、東部戦線に送ら
れて、10/9までは独南方軍集団予備としてドンバス地方に待機していた。F特殊軍団
の編制には、自動車化歩兵大隊3個とボローフ戦車大隊(主に軽戦車を50両余)、砲兵大
隊、工兵大隊、航空隊、突撃砲中隊の他、騎兵連隊と第201戦車連隊からの1個大隊が
付与されていた。

p.96~97 言及あり

p.141 言及あり。ゲームにも特別ルール化されている親衛赤軍第4騎兵軍団と12
/4になっても戦っている。

p.146 F特殊軍団に付与された騎兵連隊が、コサック義勇騎兵で編制されたフォン
・ユングシュルツ騎兵連隊だと推測される記述あり。12/12の極寒の中、ソ連軍のレ
ンドリースM3グラント戦車が親衛赤軍第4騎兵軍団の騎兵師団と共に、このフォン・ユ
ングシュルツ騎兵連隊による反撃を粉砕したとのこと。

※東方義勇兵ファンなら観たことがあるかもしれない、三号短砲身戦車のシルエットの真
ん中に大きく「F」という字が入った右腕用義勇兵ワッペンがあるのですが、類推する
と、どうやらこれがF特殊軍団の部隊章らしいですね。どうりで違和感のある異質な部隊
章なわけだ。

※早速ですが、例のFelmy軍団について調べました。
これは、1941年5月28日にSonderstab Fとして、近東での作戦「イラク作戦」のために編成されました。
これを元にして、爾後第68軍団が編成されたそうです。
資料源Verbände und Truppen der deutschen Wehrmacht und der Waffen-SS im Zweiten Weltkrieg 1939-1945 Bd. 14:
部隊マークについては、現在確認できていません。

Felmy将軍については、
http://www.lexikon-der-wehrmacht.de/Personenregister/F/FelmyHellmuth-R.htm
にありますが、まだ訳していません。
追加の情報がありましたら、また連絡します。

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 先日12/20日曜に、期せずして芸州広島の地でもコカキャンが再戦されたとの事で、
レポートを送っていただきましたので、引用させていただきます。

『展開的には、前回の失敗を鑑みて、ドイツ軍は序盤、クバニ半島の制圧に集中
しますが、装甲に損害が嵩み苦戦します。
グロズヌイ方面に全く部隊を送らなかったにも関わらず、クラスノダール陥落は
第7ターン、私は勝利を確信しました。
ドイツ軍はクバニ半島を掃討後、グロズヌイを目指す第1装甲軍と黒海沿岸を南下する
第17軍に分かれて前進を再開しますが、前半のドイツ軍の苦戦により時間を得られた
ソ連軍はテレク河沿いを赤い親衛ユニットと戦車・対戦車砲で固め、強固な戦線を構築、
グロズヌイ方面の守りを万全なものにします。
第17軍正面は険しい山岳を1ヘクスずつ歩兵のみで前進してくるのだから、どこかで止
まるだろうとタカをくくります。
慢心しポテチを摘みにビールを飲み始めますが、ノボロシスクが陥落し、ドイツ軍の山岳
猟兵共がツァプセに迫る辺りで、ハタと気が付きます。
一歩、また一歩と前進して来るドイツの歩兵が止まりません・・・。
このまま黒海沿岸をじわじわ南下されてソチまで来られると失点が18点に達してしまう
のでは?
慌てて戦車と親衛部隊を黒海側に送ろうとしますが、道路も鉄道もトビリシを経由しなけ
ればいけないため、なかなか思うように引き抜けません。
ソ連軍の狼狽を尻目にドイツ軍は悠然とソチを攻略、18点を確保してしまいます。
最後の2ターン、悪天候の中、ソ連軍は黒海艦隊も投入してソチ奪回の試みを繰り返しま
すが第8航空艦隊の前に敗れ去り(1ヘクス南下し山岳で守り1以外は死守に成功)最終
ターン、ドイツ軍が18点を守りきり勝利しました。
私はこれで独ソ両軍ともに敗北です、とほほ・・・
まさか、第17軍が主功になろうとは。
恐るべしドイツ山岳歩兵!』
by ysga-blog | 2009-12-23 16:18 | (GMT)コカ・キャン対戦記 | Comments(0)
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