戦線ついにシンガポールへ迫るも、守りは堅し エポック「マレー電撃戦」 その四

シンガポール陥落70周年記念〈1942年-2012年〉

(EP)マレー電撃戦
(EP)Malay Campaign

第11ターン〔42年1月14日~17日〕終了時の盤面。
 東海岸の英印軍悠久抗戦陣地たるクァンタン陣地を例外として、一路、快進撃を続ける日本軍。しかし英印軍にもインドから増援が到着して、青色の英国軍が戦線の補強に布陣しはじめている。また、日本軍の配備の隙を突いて、無防備のクアラルンプールに英印軍が嫌がらせに入城。取り敢えず日本軍の次ターンにおける前線飛行場の使用は邪魔できた。
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第12ターン〔42年1月18日~21日〕日本軍攻撃時の西岸ムアル陣地。
 要衝ムアルは、河越え、都市、3レベル陣地、航空支援の総合効果で6シフトという未曾有の堅陣ぶりに加え、オーストラリア大隊が待望の最強戦力で、河によって戦車シフトも使えない日本軍は威力偵察としてひと当てして止まる。
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第12ターン〔42年1月18日~21日〕終了時の盤面。 最終攻勢に備えて、再び日本軍は戦力回復に時を費やす。もちろんクアラルンプールに突入した小癪な英印軍は駆逐されたが。
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第13ターン〔42年1月22日~25日〕終了時の盤面。
 両岸道路で足踏みを余儀なくされた日本軍だが、中央道路では順調な前進ぶり。英印軍も最終ターンを睨んで、さすがにクァンタン陣地から、オーストラリア大隊を撤収させて、最終防衛線へ収容した。
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第14ターン〔42年1月26日~29日〕終了時の盤面。
 主力が撤退して単なる足止めと化したクァンタン陣地は陥落。中央道路を攻め下る日本軍によって、西岸ムアルの堅陣も敵中に突出する格好となる。しかし計画通り、兵力の温存に成功した英印軍は、最終的な時間稼ぎを狙って、日本軍の進撃路上に、部隊を敷き詰める作戦に出る。
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by ysga-blog | 2012-09-16 18:53 | 【大東亜"新秩序"戦争:総合】 | Comments(0)
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