YSGA第299回定例会の様子その2(WG誌/TAC誌72)The Holy Roman Empire六人戦その①)

(3W/TAC誌72付録)神聖ローマ帝国
(WG誌/TAC誌72)The Holy Roman Empire

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 Dublinさん特製の超拡大(訂正全適用版)バージョンでのプレイが前回・前々回と大変好評を博したので企画された1年2ヶ月ぶりの3戦目。こまいふさんと紫龍さんという初参加の方も含め、やはり今回も非常に好評だった。
ちなみに写真はどれだけ拡大されているのかという参考のために広げられた、タクテクス誌附録のオリジナル地図(左上隅)と、附録号本誌+月刊タクテクス最終77号の巻頭カラーページに掲載されたリプレイ記事ページ。
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ハプスブルグ担当もっちひさんの対戦後コメント:毎年恒例の人気企画3W/HJ「神聖ローマ帝国」をプレイ。
初心者お二方にはスペイン、フランスをお願いし、残る経験者4人でランダムに決めた所、なんとオーストリア担当に。

ファルツ、スウェーデンの新教勢に加え、旧教国ながら潜在敵国のフランスにも要注意にもかかわらず、ゲーム開始時にはブコイ伯と歩兵1戦力しか持っていない頼りなさ。
フェルディナントを登用し、歩兵6戦力を雇用して当面の敵ファルツに備える(実は領邦カードが多すぎて何枚か手元に置き忘れ収入を得そこねたため、もっと軍備強化出来た)。
競りではヘッセ=ダルムシュタット、ヴュルテンブルグ、ヴュルツブルクを入手しボヘミアとファルツの分断を計る。スペインがバルテリーナを押さえたので万一の救援要請もバッチリ。バイエルンはアウグスブルグ、ザルツブルグに加えヴェネチアを入手。
一方スウェーデンはザクセン、トランシルバニアを入手して我が国に嫌がらせする気満々。
同盟フェイズ、スペインとバイエルンを誘い旧教連盟を結成。
ファルツとスウェーデンも新教連合を結成して対抗。

いよいよ戦争開始。まずはスウェーデンが対ポーランド戦争を再開。ポメラニアに上陸・占領するとポーゼンに進撃する。これを許すまじと有翼重騎兵軍団を先頭にポーランド・リトアニア共和国軍がポーゼンに突撃するが、スウェーデン新陸軍の前に敗走。
スペインはオランダとの休戦明けに備え主力をフランドルへ北上させる。
続いて我がオーストリア。ファルツの下ボヘミア部隊を叩くのが定石だが、自らのミスによる兵力不足とトランシルバニア騎兵の後方撹乱への畏れから、トランシルバニアを占領し、上ボヘミアを占領して軍を駐留させるに留めてしまった。実は、未行動のバイエルン軍を合流させて、下ボヘミアを西側から攻撃することが可能だったのだが、同盟軍も同行できるルールをすっかり忘れていた。
しかも、かつて自分がファルツを担当した際には兵を集結するのに手間取った記憶から、ファルツ軍の行動力を見くびっていたが、今回はザクセンがスウェーデン支配下だったのだ。
この判断ミスの数々が致命的だったと気付くのは、すぐ後のことであった。
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忘れやすいトランシルバニアとハンガリーの関係性 カードにしか書いてないので忘れやすい
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ポーランドを3ターン【6年間】で屈服させたスウェーデンだつたが、その代償は大きく、早くもグスタフ・アドルフ戦死。指揮官を参加させたらことごとく11が出た。泣ける
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ハプスブルグ担当もっちひさんの対戦後コメント:今回のプレイではスウェーデンがわずか3ターンでポーランドを征服し、オーストリアの私は大変な目に遭いました。

史実ではスウェーデンは1630年に参戦しましたが、それ以前のスウェーデン・ポーランド戦争は、グスタフ・アドルフがオランダの軍制を参考に編成した「新陸軍」の実験場になった位しか知らず、調べてみたら意外な事実に驚きました。

なんとポーランド軍司令官のスタニスワフ・コニェツポルスキなるリトアニア貴族にグスタフ・アドルフは連戦連敗で2度も重傷を負い、海軍もポーランド艦隊に敗れて、最後は叩き出される寸前だったようです。
スウェーデンの介入を望むフランスの仲介で、ポーランド王のスウェーデン王位要求保留とリヴォニア割譲でなんとか体裁を保って講和した形になったそうですが、それでも「強国」ポーランド・リトアニア共和国から領土を奪ったことでグスタフ・アドルフの評価が高まったとか。

いやぁ、まだまだ知らないことばかりですね。スタニスワフ・コニェツポルスキなんて全く知りませんでした。
by ysga-blog | 2014-05-17 20:59 | 【中世/近世ヨーロッパ:総合】 | Comments(0)
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