YSGA第四回那須塩原ゲーム合宿の様子その7(AH/MMP)ASL 疾風怒濤のシナリオ5連戦そのⅲ)

ASLシナリオ
"学校へ行こう[Dx.ASL-A3]"対戦
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ASL自作シナリオ
"たった二輛でありました[YSGA1]"対戦

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堀場さんもASL太平洋、初体験。シナリオデータはこちらからダウンロードできます
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 『‥‥先生が戦車隊の将校と承っていますので書かせていただきます。
 対ソ戦時、8月14日午後と記憶しますが、牡丹江東郊の掖河よりクタクタになって牡丹江市内へ歩く道路の左側に二輛の九七式中戦車が草で擬装して止まっていました。
 「ヤイヤイ飯ぃ喰って行かねえか」と呼び止められました。見るとまだ20歳代の髭の曹長殿以下五、六人の戦車兵が側の水溜まりの水を使い、戦車の間に炭火をおこして飯盒炊さんしながらセッセと握り飯を握っています。
 地獄に仏とばかりに我々十数名は少々グリース臭くて舌が焼けそうなのを立ったまま有り難く頂き、特別に梅干の入ったのまで貰ってしまいました。
聞くとここは既に混戦状態で昼間はこの辺りで過ごし、夜になると出て行って暴れまくるとの事。
 「敵さんには肉攻班が無いでありますから。さっ、食うてつかさい」とは私と同年配の兵長です。
もう弾薬も残り少なくなり、今夜辺りが最後と思うのでこうして通る兵隊に残りの米でサービスしているとの事です。
お礼にカツオの缶詰を少し置いて行こうと申しますと、「オレ達特科隊の方が給与がいいんだ、いらねぇいらねぇ」と笑っていました。
 言葉の様子では髭の曹長殿は北関東の出身ではなかったでしょうか。
 簡単な草の擬装を突き抜けて青空に黒々としたシルエットを見せた搭載重機と戦車砲、そしてその砲塔の側に立ってニコニコと笑う髭の曹長殿、頼もしくもあり悲壮でもありました。
 何と彼らは皆若くてシッカリしていることか。
 たった二日間の戦闘でクタクタになってしまった敗残兵同様の我々には大きなショックでありました。
厚く礼を言った後、銃を天秤に担いでいた者は正しく担え銃をし、刀を帯革に差していた者はこれも正しく剣吊りに吊るし、西へ向かって行進をはじめたのであります。
 私は対戦車地雷(黄色爆薬筒200g2本と手榴弾を針金で緊縛したもの)と一緒に雑嚢へ入れた温かい握り飯を手で押さえながら、何故か涙をポロポロとこぼしながら中隊本部に追い付くべく歩き続けました。
 今、外孫ながら八人の女児を得、余生を楽しむ事を知る。
そして握り飯を見る度、若かった戦車兵達を偲びます。
ブリキ車の様な弱装甲の旧式戦車の中で彼らは一緒に死ぬ事ができたであろうかと。
 たった二輛の関東軍戦車隊、たった二輛でありました』。

 『柴田さんの涼やかで音楽が遠のいてゆくようないい文章のおかげて二輛の戦車、心に刻まれてしまっています。
 曹長の笑顔、乗員の優しさ、小生が知っている人々を集約したような人間の光景です。
 曹長はすでに小隊(四輛)の長でした。彼はすでに2輛を失っていたのでしょう。チハ車(九七式中戦車)は世界一のディーゼルエンジンを積みながら、攻撃力は57mm砲と車載重機二挺、装甲は自重15トンで推して知るべしです。
牡丹江省の対ソ国境に遠からぬ石頭には小生らの戦車第一聯隊があり、昭和20年3月に全隊動員で本土決戦に備えて栃木県へ移駐した後、傷病兵その外の人々が、僅かな戦車と共に残りました(ただし兵舎そのものは新設の石頭予備士官学校になって、兵員車輌は牡丹江市に移ったかと思われます)。
お手紙の中の「二輛の九七式中戦車」は、ひょっとすると私どもの聯隊の残留者かもしれません。牡丹江は第五方面軍の司令部所在地です。お会いになった二輛の戦車は、司令部付だったのでしょうか
 当時既に関東軍には戦車らしい戦車はなく、その曹長と兵隊は、最後の戦車隊だったかもしれません。牡丹江は最前線ですから、おそらく戦死したでしょう』

by ysga-blog | 2014-06-29 19:49 | ASLコンコマコンフリ三大戦術 | Comments(0)
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